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※(写真は出発から北京滞在、そして中国国境の丹東まで全くありません。それは丹東駅で北朝鮮の機関車を撮影した際、公安にフィルムを抜き取られてしまったからです。そんなわけで北朝鮮入国までは文章のみになりますのでご了承ください。) 北朝鮮に観光に行くことにした。数週間前まで「ならず者国家の北朝鮮など行く価値がない。高額な出費をさせられてツアーに参加しても見せられるモノは北朝鮮にとって有利なモノばかりで現実とはかけ離れた世界しか見ることはできない。なによりそのような国に国際通貨日本円を落とすのは納得いかない」などとと考えていた。もちろん今もこの考えは変わらない。 |
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北朝鮮に観光に行くことにした。数週間前まで「ならず者国家の北朝鮮など行く価値がない。高額な出費をさせられてツアーに参加しても見せられるモノは北朝鮮にとって有利なモノばかりで現実とはかけ離れた世界しか見ることはできない。なによりそのような国に国際通貨日本円を落とすのは納得いかない」などとと考えていた。もちろん今もこの考えは変わらない。 |
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連日ニュースの話題は北朝鮮関連がつきることはない。もはやこの国に興味がない日本人などまずいないだろう。また興味のある人もそのほぼすべてが悪い印象しかないだろう。北朝鮮がすばらしい国だと考え直すのは今更不可能だが、前々から思うのは日本の報道の仕方があまりにも偏りすぎているということだ。不安をあおる大げさなミサイル報道や亡命してきた元北朝鮮工作員のインタビューなどが大きく報道される中、でもはやこの国の利点など探すのはかなり困難な状況になっている。そもそも亡命してきた連中の価値観を丸呑みにしてしまう報道など公平とはいえない 最悪な国であるのは否定しないが、それがすべてではない。また作られた部分しか見せられないといってもそれも北朝鮮の一部であることにかわりはない。管理された旅行の中から少しでも北朝鮮を知ることができればいいのではと思う。 |
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東京を3時間遅れで出発した中国国際航空機が北京に到着したのは20:30。日が暮れているというのに気温は20度と暖かい。同じ便で到着した乗客しかいないが入国審査場にはかなり列ができ、それなりに待つことになった。中国の入国にはまだビザが必要な外国人が多いので進むのが遅い。荷物はすぐに出てきたので到着ロビーに出た。 今回は海外旅行で初めて出迎えの人が来ている。すぐに見つけることができるのか、飛行機が遅れているのですっぽかされてるんじゃないのか、など不安だった。でも出た所に横1メートル位の大きな紙に「MM様」と書かれたのを持った女性が立っていたのですぐにわかった。 |
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専用車に案内されホテルへ向った。専用車は黒塗りの「上海ワーゲン(ドイツ・ホルックスワーゲン社と中国の合弁会社)」。運転手にドアを開けてもらい後部座席に腰を下ろした。3年ぶりの北京はVIP待遇で少しぎこちない。市内のホテルまでは約30分の道のりだ。あと朝鮮ビザは今夜ホテルで受け取ることができるらしい。宿は比較的新しい青藍大厦の方だ。四つ星ホテルで外観は立派だ。とりあえずチェックインをすませた。帰路の瀋陽・北京間の国内線の航空券を受け取ったあと一度部屋へ荷物を置きに向った。ガイドの張さんがすべて手続きを済ませてくれるので何もしなくてもいい。至れり尽くせりだ。 |
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部屋に荷物を置いてすぐにホテルのロビーへ出た。北朝鮮ビザはホテルの前へ持ってきてくれるらしい。待つこと10分。ホテル前の道路に中国製の新車が乗り付けられた。車の中には朝鮮国際旅行社の北京駐在所長と名乗り、日本人なのか在日朝鮮人なのかわからないが普通に日本語を話す人が乗っていた。現地係員と日本語で話をしているので中国人ではないのは確かだ。その場で車のドア越しに北朝鮮ビザの記載事項を確認し、心配していたパスポート番号も間違えていなかったのでそのまま受け取った。そして代金の7000円を手渡した。ずいぶんせわしない。暗闇の中、犯罪の取り引きをしているみたいだ。北京から平壌までの列車の切符も同時に受け取った。 |
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現地係員はそのまま帰っていった。明日ホテルには16:15に迎えに来てくれるらしい。 それまで僕は北京滞在がフリーとなる。 |
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16時にホテルに戻った。現地係員は16:15ぴったりにホテルのロビーに現れた。そして専用車で北京駅へ向った。北京駅へ来るとシベリア鉄道でモスクワへ行った時の事を思い出す。しかし今回は国際列車にもかかわらず出発ホームは国内線の2番線だ。北朝鮮・平壌行きはおまけで丹東行きがメインのようだ。 |
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平壌行きの客車は最後尾の2両。北朝鮮の車両だが、車体は案外新しい。車掌はもちろん北朝鮮人で乗客もほとんど北朝鮮人のようだ。みんな胸には金日成バッジが光る。顔立ちが浅黒い印象の北朝鮮人は中国人よりも気むずかしい雰囲気を醸しだし、冗談は通じなさそうな感じだ。でも車内の北朝鮮人は割とフレンドリーでおばさんたちも「日本人か?」と割と友好的で気さくな感じだ。出発前に同室の人はもちろん周辺の乗客たちとも打ち解けることができた?気がした。とりあえず移動中の雰囲気に気を遣う必要はなさそうだ。しかし北朝鮮人の荷物は多すぎる。買いすぎだ。 |
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17:25。列車は定刻通り、静かにホームを離れた。いざ北朝鮮へ。 チチハル行きの列車も同じ時刻に出発したようでしばらくの間、併走していた。さすがの中国人も「北京−平壌」という行先表示板を見て驚きを隠せない感じだ。ほぼ全員が平壌行きと表示したこの客車に目を見開いている。中国でも朝鮮はいろいろ問題のある国だと報道されているのだろうか。 |
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知り合った一人の北朝鮮人が夕食は食べたか聞いてきたので「まだだ」と言ったら一緒に食べようと言ってきた。食堂車に行くのかなと思ったらその人の個室に呼ばれてカップラーメンを食べることになった。ソーセージと焼酎もでてきた。まだ北京を出たばかりなのにさっそく酒盛りが始まってしまった。しかし酒が強すぎる。でも進めてくる。この酒をすすめるしつこさは韓国人と同じだ。みんな貿易関係の仕事をしているようだが、国際的な北朝鮮人たちは全然普通で価値観は中国人よりも我々に近い感じすらする。タバコも気を遣って個室の外で吸ってくれたりする。しかし話題には気をつけよう。やがてカードゲームが始まり、僕はルールを知らないのでその場から抜け出すことができた。飲み過ぎたのでベッドで横になろう。 |
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よく眠れた。起きたら7時だった。食堂車へ行こうとしたら北朝鮮車両だけ連結部分の扉が閉められていた。北朝鮮車両だけ隔離されているのだろうか? そのまま7:30に丹東に到着した。今までシャツで車内をうろうろしていた北朝鮮人たちがみんなスーツやジャケットを羽織ってピシッとしはじめた。そして胸には金日成バッジ。まだ中国領なのに緊張してきた。バッジにも種類があるようで人それぞれいろいろな形や色がある。でも僕にはバッジの種類まで知識はないので階級とかはわからない。 丹東に到着後すぐにパスポートが回収された。中国人の出入国管理官は朝鮮語を完璧に話せるようで(たぶん朝鮮族の人間だと思うが)北朝鮮人が「あれは中国人か?」と不思議そうな顔をしている。 |
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丹東での停車時間は2時間。ホームの一角から離れることは許されないようで北朝鮮人車掌が列車の横から離れようとしたら中国人の駅員に「そこでじっとしていろ」と怒鳴られていた。朝鮮人車掌は少し不機嫌そうだった。中国人から見て朝鮮人はかなり格が低いようだ。北朝鮮の車掌の制服は少しサイズが大きめなのかサイズが合ってないので少しだらしなく感じる。 丹東では停車時間中ずっと停まっているわけではなく、車両の付け替え作業で乗客を乗せたまま行ったり来たりしだした。やがて北京から来た2両編成に丹東発平壌の中国籍の硬臥一両に貨車一両が連結され北朝鮮へ向う編成が完成した。僕の車両は依然として最後尾だ。 |
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先頭の機関車を写真に撮ろうと思った。写真を撮り終えると朝鮮人の車掌が現れ、すごい剣幕で追いかけてきた。もう何を言っても逃げてもダメだと思った。いかつすぎる。昔の東欧なら金を払えば済んだかもしてないがここではそれも通用しそうもない。カメラを取り上げられてその場でフィルムを抜き取られてしまった。無念だ。 写真は北京から一二枚ほどしか撮影していないが鼓楼の写真は少し惜しいことをした。まだ丹東だと思って甘く見ていたが、付け替え作業後ホームは北朝鮮人で溢れていたし、もうここは北朝鮮の駅と考えるべきだったのだ。逆に言えば抜き取られた場所がまだ中国側の丹東でよかった。今後の教訓になったし、もう中途半端なことはできないと実感できたからだ。ここからはもう許可なしで無理に撮影はしないか隠し撮りに限定だ。 |
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丹東駅で再び列車の行き先表示板を撮り直し。 |
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北朝鮮の入国書類等。 |
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パスポートが返され、すぐに列車は出発した。ゆっくりと丹東の駅を離れ、すぐに鴨緑江を渡る橋にさしかかった。 |
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そのままゆっくり橋を渡り、新義州側に入った。いよいよ北朝鮮入国だ。橋を渡る時は車掌の許可を得て写真撮影は可能だった。最後尾の車両ということで丹東の町がだんだん離れていく眺めが最高だった。 |
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北朝鮮領内に入って最初に目に入ってきた風景は河川敷で老朽化しているがカラフルな遊具で楽しそうに遊ぶ子供たちだった。この国の生活は幸せだと対岸の中国にアピールするためのデモンストレーションなのだろうか。かなり不自然だ。しかし他の場所に目をやると線路沿いで何か(ゴミ?)を拾い集めている子供たちもいたりする。そのまま新義州のホームに滑り込んだ。駅前にはさっそく金日成の銅像が目に付いた。とうとう来てしまった。 |
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新義州駅の操作場。ここから鉄道が電化されている。不思議なことに北朝鮮の電化率はかなり高いのだ。 |
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新義州の住宅街。殺風景で道路は舗装されておらず寂れた印象だ。 |
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新義州での停車時間は3時間とかなり長い。到着後すぐにパスポートが回収された。外に出たら肌寒く、日向に出ると暖かい。快適な気候だ。中国から来た客車3両の前に10両以上の朝鮮の客車が連結された。そしてしばらくすると向こうの方に人混みが現れ、人々が群れをなして列車に乗り込んで行く光景が見えた。あまりにも離れているので人々の表情まで確認できない。鉄道駅の駅舎は2つに分かれていて片方は我々外国人や地位の高い北朝鮮人でもう一つは朝鮮人民用だ。この駅舎の分け方はアパルトヘイト時代の南アフリカを彷彿とさせる。 |
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やがて都市部から離れのどかな風景の中を走っている。道は舗装されておらず、民家があまりないにもかかわらず、ひたすら歩き続ける人々がたくさんいる。たまに人を荷台に載せたトラックやトラクターも通り過ぎたりする。家は伝統的な朝鮮建築の一戸建てが多く、この界隈はもちろん外国人に見せるための場所ということもあり、のんびりした風景が広がっている。 |
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駅を通過。駅舎には金日成の肖像画が掲げられている。 |
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食堂車に行けるようで知り合った一人の朝鮮人と一緒に昼食に向った。朝鮮料理のコース料理で5ユーロとのことだ。北朝鮮は外国人用の通貨である外貨兌換券を廃止してからしばらく価格表はアメリカドルで表示されていた。しかし最近アメリカとの関係が極めて悪いのでユーロ表示に変えてしまったのだった。食事はハマグリ、砂肝、卵、スープ、サラダ、キムチなど種類は豊富でご飯も付く。ビールもつけていくらかわからずに千円払ったら2$のおつりが返ってきた。 |
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兵士を乗せた軍用車。けっこうやばい。 |
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最初北朝鮮の車窓にずっと釘付けだったが、単調でだんだん飽きてきた。平壌に到着するのは暗くなってからだ。それにしても寝台に朝鮮人のジャケットが無造作に置かれ、金日成バッジもほったらかしだ。結構管理はいい加減なようだ。誰も盗る人はいないと安心しているのだろうか。でももし誰かがバッジを紛失したら僕のせいになるのだろうか。まぁ僕以外持っていく奴はいないだろうけど。 |
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毎回食堂車に行くわけにはいかないので部屋でカップメンの食事をすることも多い。北朝鮮人はみんな部屋で食べていた。 |
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列車は予定より1時間遅れで走っている。平壌の手前の駅で対向列車を待っていた関係でダイヤが大幅に乱れた。あとで知ったことだが、このときすれ違った列車は北京を訪問する金正日一行を乗せた特別列車だったようだ。列車は行き先表示もつけず、新品の客車を10両ほど連結し重要なはずの駅を猛スピードで通過していった。不自然だったのは先頭に電気機関車が連結されているのは当然として最後尾の客車にも電気機関車が連結されていた事だ。つまり後ろからも客車を押している状態だ。まさか金正日とすれ違うとは。 |
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日は暮れ、暗闇の中に建物の明かりがぽつぽつと見えてきた。そろそろ平壌に到着か。と思ったそのときだった。仲良くしていた一人の朝鮮人と車掌が個室に入ってきた。そして扉を閉められた。何か話があるのだろうか。車掌は「あなたの写真に問題がある」と言ってきた。それを一緒の客が英語に通訳してくれる。「あなたは注意したにもかかわらず写真を撮ることをやめなかった」「フィルムは抜き取られることになる」「・・・・・」。 |
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またフィルム没収か。丹東から鴨緑江を渡った時の写真や食堂車の写真など貴重な写真が中にはたくさん詰まっている。最悪だ。でも車掌はその場でフィルムを没収せず、平壌に到着してから出迎えの日本語ガイドに対応してもらうということになった。それにしても注意など一度もされてない。もしかして丹東駅で没収された事を言っているのだろうか。それとも何も言われないので調子に乗って写真を撮りすぎていたことに問題があったのだろうか。信頼していた朝鮮人乗客に密告されていたのだろうか。とにかく言われたことには従うしかない。 無駄な努力かもしれないが、撮った写真を巻き戻し、カメラのフィルムをこっそり新品に交換して数枚撮ったことにしてみた。そして使用済みのフィルムはカバンの底に隠すことにした。さてどうなる事やら。 |
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平壌には一時間半遅れの20:00に到着した。首都の中心なのにあまりにも真っ暗で到着したのがしばらくわからなかった。乗客が列車を降りだして初めて駅ホームに停まっていることがわかった。 |
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とうとう平壌に到着。列車から暗闇のホームに降りたった。降りたところで待っていると日本語で「前田さんですか?」と声が掛かった。これから平壌滞在中お世話になる日本語ガイドからだった。比較的若い男性のガイドだ。写真のこともあるので一刻も早くこの場から立ち去りたいと思い、僕はガイドに「昼から何も食べていないのでお腹が空いているんですよ。夕食はどこで食べるんですか?早く行きましょう」とガイドに早く駅から出るように促した。しかしもう一人、日本語ガイドが現れ「列車の中で何かトラブルがありました?」と聞いてきた。もうバレていた。「車掌がいうには何度も注意したのに撮るのをやめなかった」とのこと。 |
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とりあえずごまかすしかない。僕は「車内でも言われたんですが僕は注意された場所ではいっさい写真を撮ってないし、風景や車窓を撮っただけで駅や人は撮っていない。何が問題なのか詳しく説明してほしい」また車内でメモしていたことも怪しまれたみたいでそれに対し「時刻表の駅と時間を書いていただけでやましいことは何もない」と強気に出ることにした。するとトラブルについて質問してきたガイドは納得してくれたのか車掌に説明しに行った。待つこと数分、ガイドが戻ってきた。何とか話をつけてくれたのかフィルムの没収は免れた。日本語のガイドに助けられた形になった。ガイドに「写真に関してこの国は厳しいので十分に注意してください」と念を押された。でもこの出来事でガイドの人柄に好感を持つきっかけができた。 |
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でも本当によかった。もしこのフィルムまで没収されていたら鉄道で北朝鮮に来た記録写真が全くなくなってしまう事になる。日本語ガイドには本当に感謝したい。ガイドは二人で若い方はミンさん、もう一人は洪さんという方だ。3人で駅の改札を出て駅前に停められたワゴンの専用車に案内された。車のドアを開けてもらい後部座席に腰を下ろした。車は朝鮮国際旅行社所有のハイエースで後部座席は4席しかなく、向かい合わせにすることができる高級仕様車だ。 |
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車はまっすく宿泊先の羊角島国際ホテルに向った。自己紹介をしながら車は平壌市内を走った。街の雰囲気は予想通り真っ暗で今どこにいるのか全く把握できない。やがて暗闇の中にライトアップされた高層ビルが目についた。それが羊角島国際ホテルだった。暗闇の街中で川の中洲にあるホテル周辺だけが明るく、ここだけ別世界だ。 ホテルに到着した。47階建てで平壌で最高級のホテルだ。今夜平壌で太陽節(金日成生誕の日)に関する芸術祭典があったようでロビーは祭典から戻ってきた外国人でごった返している。中国人が多いのは納得できてもターバンを巻いたりサリーを着たインド人や欧米人の多さにどぎもを抜かれた。本当にここが北朝鮮の平壌なのか?自分の目を疑った。 |
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ガイドにチェックインを済ませてもらい部屋に入る前に2階のレストランで夕食を食べることになった。夕食は朝鮮料理が小皿に盛られたフルコースで魚や肉などでどこからこれだけの食材が集まるのか不思議だ。あるところにはあるのだろう。日本から援助された米もここで調理されているのかもしれない。とにかく量が多く、もったいないので無理矢理食べることにした。レストランの照明は日本の松下製で日本語の注意書きシールが貼られている。またテレビは南朝鮮(韓国)のサムソン。政治的には孤立していても経済的には敵国にかなり依存しているのがうかがえる。 |
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食後明日以降の打ち合わせをすることになった。とりあえず僕のリクエストは「夜景を見たい」、「朝の通勤風景を見学したい」、「サムゲタンと食べたい」などでこれといって特殊な要望を出せない知識の無さが少し情けない。結局どのような場所があるのかガイドに教えてもらって決めるような感じになってしまった。これでは自分なりのこだわり旅行ができない。でも知識がないのでしょうがない。 平壌に遅れて到着し、その後打ち合わせなど慌ただしい時間が過ぎ、ホテルの部屋に入ったのは11時を過ぎてからだった。22階の部屋は平壌中心部側で昼間は眺めが良さそうだ。ガイドも僕が滞在中、同じホテルに滞在し24時間態勢で監視されることになる。しかしなぜ僕が22階でガイドの方が上層の37階なのか少し理解しがたい。運転手は7階に泊まっているらしい。 |
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テレビはNHKやBBSなど受信可能で中国の放送が一番多い。しかしなんといってもここで見るテレビは朝鮮中央テレビだ。ニュースではないが、いつもよく出てくる女性の気合いが入った喋りが流れてきたり、金正日を讃える番組が放送されている。せっかくなのでこのチャンネルを見続けることにした。23:30からよく出てくる男性アナウンサーがニュースを読み始めた。本場のものを見て何か懐かしさを感じてしまう。 この日NHKで金正日が明日にも北京を訪問するというニュースを知った。でもまさか数時間前にすれ違った列車に金正日が乗っていたとは知るよしもない。全容を知ったのは中国に戻ってからだった。 |
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7時過ぎ、モーニングコールがかかり、朝食に向った。朝鮮風朝食でおかゆとあんパン、茶碗蒸し、ソーセージ、焼海苔、キムチなどで最後にコーヒーが出た。朝から量が多い。 8時からガイドと共にホテルから平壌駅まで散歩することになっている。朝の通勤風景を見たいといったら駅まで歩くのがいいと言われたからだ。隔離された羊角島国際ホテルを出発し、すっきりしない天気の中、国際映画祭が行われる会場の脇を通り、橋をめざした。 写真は平壌滞在中宿泊した羊角島国際ホテル。 |
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橋の辺りまで来ると自転車に乗った北朝鮮人や歩行者と頻繁にすれ違う。でもやはり車は少ない。最初北朝鮮人とすれ違っただけでドキドキした。ガイドが一緒なのである程度写真撮影も可能だ。 |
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そのまま駅まで歩いた。駅前はトロリーバスの発着所になっていて人の乗り降りが激しく、通勤客が頻繁に行き来する。すごすぎる。これが平壌か。感激した。しかし違う方向にカメラを向けると「そちらは写真を撮らないでください」とガイドに制止される。 |
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前方に中心部の高級ホテル「高麗ホテル」が見えてきた。 |
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平壌駅前には長距離列車の客がたくさんいて写真を撮らないことを条件に北朝鮮人用の駅舎にも入ることもできた。 |
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駅前は路面電車の終点になっていていろいろな種類の電車が走ってくる。本数はかなり多いようだ。またトロリーバスも頻繁に到着し、通勤客を大量にはき出す。北朝鮮人はみんなこちらを見て見ぬふりで多少は意識しているようだが、平壌ではこれだけ外国人が増えるとそれほど珍しくなくなりつつあるのかもしれない。駅前の地下道は真っ暗で照明が全くない。しかし清潔だ。たいていこの種の地下道はホームレスが住みかにしていたりして糞尿の悪臭が充満しているのが定番だが、ここは地べたに寝転がっても苦痛ではない。 |
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まず最初に万景台へ向った。金日成の生家があるとされる場所で北朝鮮人にとって聖地みたいな場所だ。 車で向かう途中、信号は全くなく、交差点はすべてが婦警による手信号だ。雨の日は大変そうだ。 |
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小雨が降りしきる中、生家を見学しガイドの説明を聞くことになった。 |
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ここ万景台は朝鮮人もたくさん観光に来ていてみんな正装している。また子供たちもカラフルな制服に身を包みとてもかわいらしい。みんな行列をつくって生家の展示物を見学しているが、僕は外国人特権で割り込みまた周りの人が僕を避けてくれるので込んでいるにもかかわらずゆったりと説明を受け、じっくり見学することができた。とはいえ説明の内容はいかに金日成が偉大で勇敢で貧しい人のことを考えているか、また金日成の母親についてもいかに素晴らしい人だったか説明を延々と受け、少しうんざりしてきた。でもこれからもっと大変だ。耐えなくてはならない。 |
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次は地下鉄だ。平壌で最も楽しみにしていたイベントの一つだ。まず中心部から少し離れた「復興駅」に向った。復興駅は地下鉄なのに駅舎が立派なところがモスクワっぽい。 |
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改札にて。ガイドがいるので写真は撮りまくりだ。 |
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地下鉄は深さ100メートルでホームへ下るエスカレータは150メートルあるらしい。 |
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地下鉄にはそれほど人が乗っておらず、ずいぶん静かだ。ホームの照明はシャンデリアだが実はこの駅と、これから向う「栄光駅」の中だけ豪華でそれ以外の駅はどうなっているのかとても興味があり、行ってみたいがそれは叶わぬ夢だ。 |
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栄光駅に到着。ここも豪華なシャンデリアが印象的だ。 |
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再び平壌駅前にやってきた。駅前は慌ただしく通勤する人々が行き交う。こうしてみると北朝鮮も普通に経済活動が行われているんだなと思ったりする。 |
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路面電車。チェコ製とのこと。 |
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再び来るまで街の中を移動することになった。車窓から常に気になる建造物がこの「柳京ホテル」だ。105階建ての高層ホテルだが、欠陥が見つかり工事が十年以上も中断したままだ。幽霊ホテルで外国人が近づくことは許されない。 |
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交差点には必ず婦警が交通整理している。 |
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路面電車。車内はいつも込んでいる。 |
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下校途中の小学生の集団。 |
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「金日成同士の銅像」へ車で向った。そこにはまさにあの有名な金日成の銅像が右手を挙げ立っていた。広場では小雨の中、音楽が流れ、女学生たちが整列して先生の話を聞いている。生徒たちはあまり集中力がないらしくこちらが気になるようでよそ見をしてくる。 |
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その横で僕は献花することになった。花はさっき1ユーロで購入した。 |
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献花に訪れた婦警さん。 |
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平壌の政治経済の中心。人民大学習堂周辺には共産主義独特の立派な建物が建ち並んでいる。 |
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噴水広場と人民大学習堂。 |
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近くにいた中学生に一緒に写真を撮らせてくれと頼んだら快く応じてくれた。これもガイドのおかげだ。 |
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党創建記念塔。 |
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パリより少し高いらしく北朝鮮人はそれを誇りにおもっている。 |
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そのあと最近完成した「金日成花・金正日花展示場」という場所に連れて行かれた。何でもインドネシアのスカルノ大統領がインドネシアに自生していた新種の花を金日成花と名付け、金日成に贈呈したことで以後その花が世界中の在外朝鮮人の手によって育てられ、本国に送られてきたものを展示してある場所だ。ガイド(朝鮮語)は必要か聞かれた。「いや興味ないんで結構です」などと言えるはずもなく、ガイドをお願いすることになった。 派手な衣装の女性がここの専属ガイド。日本語はしゃべれないのでガイドが通訳する。 |
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ガイド(朝鮮語)は必要か聞かれた。「いや興味ないんで結構です」などと言えるはずもなく、ガイドをお願いすることになった。 派手な衣装の女性がここの専属ガイド。日本語はしゃべれないのでガイドが通訳する。 |
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約30分の間「この花は誰々から贈られた」などそれぞれ展示された花の説明を受けることになった。二階建てかと思っていたら三階にも花があり、あれも説明を受けなくてはならないのかとと思うと気が遠くなってきた。でもまじめに話を聞くふりをしなくてはならない。 館内はおそらく北朝鮮/平壌で最も照明が明るく華やかな空間のような気がする。このまぶしさは北朝鮮では異常だ |
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普通江沿いにそびえるチェチュ思想塔に登ることになった。少し晴れ間が出てきたので眺めが良さそうだ。 |
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塔の上からは180度の平壌のパノラマが広がる。ここに登ることで平壌の街の全体像が把握できた感じがした。 |
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三角の建物「柳京ホテル」が常に視界に入る。 |
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結婚式を終えてチェチュ思想塔に見学に来た新婚夫妻。おめでとうございます。 |
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この日、夕食は「清流食堂」という場所で朝鮮風すき焼きを食べることになった。 朝鮮風すき焼きは鍋に卵を落とし塩やこしょう、味の素で味付けする。すき焼きとは名ばかりで日本のものとは全く違う食べ物だ。すき焼き以外にもイカ、鶏肉のフライ、たらのムニエル、キムチ、そしてなぜかパンも出てきた。あと野菜などこれでもかという量が出てきた。食べ過ぎた。 |
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夜景は凱旋門、噴水広場、金日成の銅像の順で回る。北朝鮮の電力事情は日に日に悪くなっている。エネルギー不足から順次節約態勢に入っているようで広場も真っ暗だ。少し前まで平壌中心部の重要建造物もライトアップされていたようだが、今ではその光は全くない。また街灯がないのに噴水だけライトアップされている。普通逆だろうがと思いながら足元に気をつけながら周辺を歩いた。そんな中ひときわ明るいのが金日成の銅像だ。ここの光が消えるのはおそらくこの国が崩壊するまでないだろう。暗闇の中で暮らす人民が気の毒だ。 |
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ライトアップされた凱旋門。 平壌の街は暗い。これだけの近代的な大都市で星空がきれいな場所は他にない。街灯の少なさではプノンペンやハバナも引けをとらないが、それらの場所は改善される傾向にある。しかし平壌の明かりはいつ改善されるのだろうか。 |
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今朝は天気はいい。普通江は穏やかで鏡のようだ。 |
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今日は韓国国境の板門店に向かう。そして帰りに開城の街にも立ち寄ることになる。高速道路を南に向かい平壌の南のゲートを通過した。 |
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北朝鮮の道路は全く車が走っていないのは有名な話だ。 |
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時折、市街地を通過する。 |
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電化された鉄道も頻繁にめにする。 |
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開城の街を通過。高速道路からの眺め。一般的な北朝鮮の住居は窓ガラスもないような素朴な共同住宅です。 |
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板門店に到着。ソウルまで70キロの表示がでていた。 |
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北朝鮮各地への距離が表示されている。平壌まで168キロ。 |
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板門店・軍事境界線周辺をガイドしてくれる兵士を紹介された。ガイド(朝鮮語)は本物の現役北朝鮮兵士だ。同じ時間に来ていた中国人の二人組も同じガイドに説明を受けることになった。まず今いる2キロ手前で手続きを済ませ鉄条網を通過し車に乗り込んだ。 同じ車には兵士が二人乗り込んできて一緒に向った。 |
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ガイドの兵士は気さくで表情は穏やかだ。車の中で「あなたには親近感を持つことができる。初めて会った気がしません」と前置きをしたうえでいろいろ説明が始まった。 写真は金日成の署名の碑と案内してくれたガイドの兵士。 |
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軍事停戦会議や南北会談が行われる建物に到着した。これらはあの有名な軍事境界線上にある建物だ。建物周辺の兵士は一歩も動かない北朝鮮兵士に対して韓国側はうろうろして落ち着きがない。建物内部を見学しひと通りの場所で記念撮影をすませた。 |
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兵士も写真に応じてくれるが、自分をフレームに入れることが最低条件だ。 |
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砂利が韓国領で砂が北朝鮮領。兵士は北朝鮮兵。 |
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軍事境界線の南では韓国からのツアー客の集団が歩いているのが確認できる。向こうは大人数で勝手な行動もできず、服装まで指定される。それにひきかえ北は客よりガイドや案内人の兵士の方が多くのんびりしている。シーパンもスニーカーもOKだ。怪しい行動をとって問題が発生してもすべて南のせいだ。 |
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建物の内部へ。実際会談が行われるテーブルが並ぶ。 |
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開城の街に戻った。ここも高層ビルは多いが、みんなかなり老朽化している。人口30万人。メインストリートは人通りが多いが、車は全く走っていない。 |
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子供たちが楽しそうに遊んでいる。 |
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ケソン中心部の商店街にて |
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「統一館」という店で昼食をとった。開城民族料理で有名な店だ。というか開城ではここしか店がない気もする。建物は朝鮮の伝統建築で古い建物だ。トイレに入ったら一つの部屋の中に小便器が二つ、大便器が一つという設定だ。小便をしていたら中国人?が入ってきてうんこをはじめた。まさかこんな所で中国式トイレに出くわすとは。この店は現地人も多いのだろうか。とはいえレストランは高級な料亭で僕のテーブルはまた個室だ。今回はガイドとは違う特別メニューなので一人で食べることになった。特別料理はサムゲタン。僕が韓国で一番気に入った料理だ。特別料金は2000円。開城料理は小皿の数が多く、種類が豊富だ。昼間でも必ず焼酎が付く。ここの焼酎は高麗人参でできているらしい。 |
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開城の古い街並を見渡せる丘に登った。この町は韓国初代の大統領の出身地だったということであまり攻撃を受けなかったらしい。そのため古い家屋が残っている。 |
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古い街並みの中を歩いてみた |
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開城の中心に位置する南大門。 |
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開城周辺には少し街から離れると真の北朝鮮の風景を垣間見ることができる。 でもこの程度はまだまだ序の口か。 |
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薪を担ぐ女性 |
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肉体労働者。 |
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引き続き北朝鮮の素顔。 |
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再び開城中心部 |
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開城駅の前を通過。 |
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高速道路に入ってからもしばらく住宅街が続く。 |
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途中、休憩する軍の輸送車に遭遇。なぜか牛が混じっている。 |
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夕方、平壌に戻ってきた。目の前には高層ビルのジャングルが広がっている。路面電車も走っている。平壌は大都会だ。 |
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平壌市内に戻り、高層住宅が建ち並ぶ光復通りを見学に向った。ここには40階建ての高層住宅をはじめ高層ビルが林立している。大通りは幅100メートルあり、両脇には路面電車が走っている。全体的に交通量は少なく、バスしか走っていない。街は遠目には薄汚いがゴミは落ちていないし、地下道は平壌駅前同様、変な臭いがしない。見た目はキューバや東欧みたいだが清潔な街だ。野良犬も一度も見ていない。みんな食用になるのだろうか。 |
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裕福そうな子供たちが無邪気に遊び回っている。 |
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夕食は「平壌アヒルの肉専門食堂」という場所で取ることになった。アヒルのフルコースでまた量が多そうだ。北京ダック好きの金正日も毎日こんな物を食べていたら糖尿やら痛風にもなるだろう。アヒルのメインは焼き肉。ブルコギ鍋にアヒルがどんどん乗せられる。それ以外にアヒルの照り焼き、スープ、卵焼き、炊き込みご飯、その他いろいろあって目が回る。午後もたいして動いていないのでお腹があまり空いていないのだ。 |
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ガイドがこの辺りに射撃場があると言った。予約なしですぐに行って撃てるのか聞いたら大丈夫らしい。ライフル射撃で弾は5発で2$とのこと。ライフルはもちろん銃というものを今まで触ったことがないので緊張する。屋外用のライフルということで音はあまりうるさくなく衝撃もあまりない。思わぬ所でいい経験ができた。写真は射撃場の従業員と弾。 |
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手信号の婦警の交代時に遭遇。 |
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北朝鮮滞在最後の日。空港へ向う途中、平壌で最も気になる建物である「柳京ホテル」に大接近した。一般観光客はこの道路を通れないはずだ。今まで僕はホームページで北朝鮮の旅行記の写真をいろいろ見たが、これだけ間近で柳京ホテルを見たの初めてだ。巨大な建物の基礎部分はコンクリートが露わになっていて工事は進んでいないようだ。建物を見てこれだけ興奮したのははじめただ。写真も撮っていいらしくベストスポットとに車を止めてくれた。これはすごい。個人ツアーの特権だ。 |
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平壌で滞在した高級ホテル。羊角島国際ホテル。外観は立派だ。 |
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ロビーも落ち着いた雰囲気だ。 |
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部屋のテレビではおなじみの朝鮮中央通信の放送が流れていた。 |
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平壌市内の風景。2階建てバスが走っているが、乗用車は相変わらず走っていない。 |
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空港へ向かう途中。朝鮮各地の距離表示。 |
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北朝鮮の貨物列車。 |
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北朝鮮滞在中はずっとこのVIP使用のハイエースにふんぞり返っていたので快適この上ない。 |
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瀋陽行きの高麗航空は一応ジェット機だが、旧ソ連製で機種名がわからない。50人ほどが乗れる小型機だ。機内は荷物棚の扉がない旧ソ連独特のタイプだ。乱気流に遭遇すると荷物が降ってくるので気をつけなくてはならない。飛行中、窓の下は終始厚い雲に覆われていた。一時間後、瀋陽に向け最終着陸態勢に入った。着陸寸前になって中国の大地が見えてきた。 |
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着陸し駐機場に完全に停まってからすぐに降りることができず、中国人の公安が機内に乗り込んできた。タラップの下には消毒用のタンクも置かれている。しばらくして全員飛行機から降りることができたが、公安の鋭い目が降りていく乗客に向けられる。中国も北朝鮮人に対してかなり警戒しているのだろうか。なんせここ瀋陽は脱北の朝鮮人が日本大使館に駆け込んだり、その手の話題には事欠かない場所だ。警戒されるのも無理ないだろう。瀋陽で乗り継ぎ。中国南方航空・北京行き。機材はMD80型機だが北方航空の機材を使用している中国系航空会社同士では機材の貸し借りが普通なのだろうか。このフライトの客室乗務員は比較的愛想がいい。しかし出発がまた遅れた。この旅行は主な移動がほとんど遅れている。まともなのは高麗航空の平壌・瀋陽間だけだった。 |
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北京には40分遅れで到着。北京友協國際旅行社の張さんが迎えに来ているはずだ。また待たせてしまった。一人だと飛行機が遅れても自分が嫌な思いをするだけだが、ツアーだと現地係員を待たせるので余計な気を遣ってしまう。到着ロビーでは人が多かったが、無事張さんを見つける事ができた。この前の車は故障したらしく、タクシーでホテルへ向うことになった。 北京は今日もガスのかかった日射しのない空だ。それにしても北京は空気が悪い。車も多い。窓から入ってくる風を吸うのさえ苦痛に感じる。平壌がいかに空気がきれいだった思い知らされる。30分ほどでこの前と同じ青藍大厦(ホテル)に到着した。張さんは明日は7時半に迎えにくるということで帰っていった。とりあえず荷物を置いてまだ時間も早いので街へ出た。 |
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青藍大厦(ホテル)の部屋。 |
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天安門の夕暮れ。中国はやはり輝いている。北朝鮮から来るといっそう強く感じる。屋台で自由に買い物でき、写真もどこで撮っても大丈夫だ。素晴らしい。 |
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王府井中央部から故旧に向う道路沿いに北京最大のナイトマーケットが開かれているので行ってみた。ちょっと値段は高めだが串焼きのシャコ、豚肉、貝、イカ、そしてもつ煮込みなど食べ夕食の変わりにした。ヒトデも売っていたがさすがにあれは食べる気にならない。 |
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帰国の日、朝食を済ませ、チェックインをすませた。ちょうど張さんも迎えに来ていて、そのまま空港まで送ってもらった。昨日車が壊れたので今日は別の車でハイエースだ。ツアー客が少グループ(3人〜6人)の時に使うらしい。空港までは30分ぐらいで到着した。 |
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東京行き中国国際航空。今回は周りが日本人乗務員ばかりなので気配りが洗練され、快適なフライトだった。本を読んでいたら黙って読書灯のボタンを押しくれるところがシンガポール航空っぽい。帰国便は特に遅れもなく、第二滑走路に着陸した。 |
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成田国際空港。入国審査をすませ、税関に向った。税関職員に「どちらへ行かれましたか」と聞かれた。僕は少しためらったが「北京と北朝鮮です」と答えた。職員はまったく表情を変えず「どうぞ」とすんなり通してくれた。ここでは北朝鮮よりタイやインドを怪しむようだ。 |
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今回の北朝鮮旅行。不謹慎な旅行ですがどれだけ高額だったかというと7日間のパッケージツアーで245000円+一人催行追加料金46000円で合計291000円でした。 これには航空券や鉄道代(1等)、ホテル、北京での空港への送迎や北朝鮮滞在中の食事や移動の代金がすべて含まれています。 列車内での食事は別途支払いが必要でした。 北朝鮮ではほとんどお金を使う機会がなく、お金を使ったのは食事のグレードアップやドライブインのお茶、展望台の入場料、空港使用料くらいでした。 お土産をたくさん買う人はそれなりにお金を持って行った方がいいでしょう。 |
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北京から平壌への鉄道のチケット。 |
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高麗航空の搭乗券(平壌〜瀋陽)と航空券 |
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